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一瞥体験と悟り

天使たち

最近、一瞥体験という言葉をよく耳にします。

一瞥? それって何なのかな〜? σ(・ω-;)

いち‐べつ【一×瞥】
[名](スル)ちらっと見ること。ちょっとだけ見やること。
「一瞥をくれる」「一瞥しただけで、それとわかった」
デジタル大辞泉


いちべつ【一瞥】
( 名 ) スル
ひと目ちらっと見ること。 「 −を投げる」 「広く文芸全般の自然主義について−するに/文芸上の自然主義 抱月」
大辞林 第三版


要するに、ちらっとかいま見ることなんですね〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

阿部敏郎さんのブログからの抜粋

最近届くメールや、このコメ欄の書き込みに、瞬間的に至福に満たされたとか、景色がすごくきれいに見えたとか、意味もなく感動と感謝が湧き上がったとか、そういう内容が増えてきました。

多くの人がそう言いながらも付け加えるのは、「これは目覚めとはいえないし、大した体験ではなかったですが・・・」というようなことです。

僕に言わせてもらえれば、それはすごく素晴らしいことが起きたんですよ。
自分をたくさん祝福してあげてほしいと思います。

それこそが思考を超えた体験で、通常見ている世界の背後にある、とても神秘的で、とても美しい何かに触れたのです。

神聖なるその存在は、普段は僕たちの思考のせいで、認識することができません。

何かの瞬間、その思考が消えて、永遠なるものを垣間見ることがあるのです。

いずれにせよ、その体験は、真にリアルな世界を垣間見たのであって、とても喜ばしいことが起きたのです。

まさに悟りの一瞥です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

リマ:
その素晴らしい世界はいつもそこにあるのに、人は自分の思考(マインド)にまみれているので、気がつかないだけなのです。

ふと、自分の思考から外れたとき、素晴らしく美しい世界が自分の周りに広がっていることに気がつきます。

しかし、一瞥なので、すぐに元に戻ってしまいます。

いつもいつもその世界に浸っていられたら、どんなにか幸せでしょうか?
それを悟り覚醒だと思って、その境地を追い求める人もいます。

一瞥体験は、以前は神秘体験と呼ばれていた現象と同じように思えます。

昔は、多くの求道者が神秘体験を求めて荒野や山奥、滝などで厳しい修行をしてきました。

そして、ある時、突然、光に包まれて至福を味わっている自分、無になっている感覚、世界と一体になっている感覚を味わって、自分は神に祝福されたと感涙にむせんだものでした。

私は、一瞥体験も神秘体験もしたことがありません。
それでもゲートさんから見性印可(仏教用語で悟ったと認められること)をいただきました。キャンドルライトの仲間からも、ほとんどそういう体験談を聞いたことがありません。

不思議な体験は数多くありますが、それを神秘的と思ったことはないです。

天使や不思議な山の存在達、高次の存在、マリア様、神社の神様に話しかけられたなど、たくさんありますが、そういう見えない存在は人間が感じられないだけで、周囲に普通にいるし・・・

リトリーバルでは、向こうの世界に行って、ガイドや死んだ人にも会ってるし・・・

思い返してみると、そんな一瞥体験らしきこともあったなぁ〜
それは印可をもらうずっと前のことでした。

それでも、一瞥体験をする人が増えたのは、世界の波動が変わってきているからだと思います。

ただ、悟るために必須の条件ではありません。
こだわる必要はないということですね。

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2016.03.24 Thursday 07:38 | comments(0) | - | 

自分を知る喜び

tennyo1
【天女の舞、自分を知り自由に生きましょう。】

スピ系サイトを見ていると、本当の自分自分の使命などという言葉をよく見かけます。

ということは、今の自分は本当の自分ではないと思っている人が多いのでしょう。

また、ただ漫然と生きているだけで、自分の使命を知ってそれに向かって邁進している人が少ないのでしょう。

自分探しという言葉も一時流行っていました。

どちらも、今の自分に物足りなさを感じているのだと思います。

私を小さくみじめな人間だと思っていたり、
言いたいことも言えない私、
やりたいことが何かわからない私、
お金もなくひとりぼっちで
孤独死するかもしれない私。。。。

しかし、本当の自分を見つけようとすれば、簡単に見つけられるのです。

この人生で生きているちっぽけな私だけが自分である。
私は死ねば
ゴミになり、になるあわれな存在だ。
たまたま、
偶然、この世に生まれてきただけだ。

こんな考え方が世の中に蔓延していますが、私たちは本当は大きな存在です。
何万回も輪廻転生を繰り返し、たくさんの人生を体験し、魂を成長させてきました。

そろそろ目覚めて、本当の自分になりましょう。
本当の自分はパワフルで、思い通りの人生を創ることができます。
なりたい自分になれる全てを超越した存在です。

私は自覚を続けて、本当の自分に少しずつ近づいてきています。
今まで、自分だと思っていた自分は幻想だったのです。

私は人間の生死を超越し、宇宙よりも大きな存在だったことに気がつきました。
今は、地球の輪廻のワナに取り込まれていますが、そろそろ地球から脱出する準備が出来てきました。

あなたも自覚を通して、本当の自分に気づいていきませんか?
目の前の悩みやお金や仕事の問題にとらわれず、本当にやりたいことに気がついてみませんか?

その第一歩が自覚です。
自分を深く知っていくことほど、大きな喜びはありません。

宣伝になってしまいますが、
悟りと自覚講座、我ながらおすすめです。
ヽ(´∀`)ノ

悟りと自覚講座☆☆☆

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2016.02.21 Sunday 08:49 | comments(0) | - | 

悟るのに修行は必要なかった。

滝行
【苦行よさようなら〜楽しみながら悟りましょう。】

 お釈迦様は、出家してから6年間、激しい苦行を続けました。
そして、とうとう菩提樹の下で悟りを得ました。

そこで、悟ったことは
「悟るのに苦行や修行は必要なかった。
ただ自分の心を見れば良かったのだ」

ということでした。

それを「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」と言います。  禅語

「すべての現象や存在は、自分の心が造り出したもの。
心のほかに何物も存在しない」
という意味です。

自分の苦しみは、自分が創り出した考えによるものです。
「私はこうしなければいけない」
「私はこのままではいけない」
「私はもっと成長しなければならない」
「私は未熟だ」
「私は価値のない人間だ」
「私は仕事ができない」
「私は愛される資格がない」
などなど・・・・

そして、自分の考えで自分をグルグル巻きにして、自分を苦しめています。
あなたはどんな考えで自分を縛っていますか?
どんな考えで自分を苦しめていますか?

私はずっと、自分は無価値で無能力で生きている資格もないと考えていました。
マスターゲートさんの講話を初めて聞いたときの驚きは、今でも新鮮に思い出せます。

そうか!自分の考えが自分を苦しめていたのか!
\(◎∀◎)/


それから、一生懸命、ゲートさんの話を聞きに通いました。
どんどん表情が明るくなって、5ヶ月後に見性印可をいただきました。

悟るのに、瞑想も修行も必要なかったのです。
ただ、自分の考えを見るだけで良かったのです。

ここからは宣伝です。
マスターゲートさんに教えていただいた簡単な悟り方講座を開いています。

◆悟りと自覚講座(西船橋又は船堀、スカイプ)
個人講座ですので、お好きな日時に受けられます。
お友達と数名でも受けられます。


3時間×2回
料金などはHP→メニュー→料金一覧

興味のある方はお問い合わせください。
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2016.02.10 Wednesday 18:10 | comments(0) | - | 

悟りと解脱 2

涅槃
【お釈迦様は80才で亡くなられました。涅槃入滅と呼びます。】

悟りのゴールといわれているのが解脱(げだつ)です。
その意味をネットで調べてみました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

解脱(げだつ)は、
(ウィキペディアより)

仏教においては、煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れることで、迷いの苦悩の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出することを指す。

ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては、サマーディ(仏教の漢訳三昧)に入定し、サンサーラの迷いの境界から脱することを指す。

解脱を果たしたものを
解脱者と呼ぶことがある。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

げだつ【解脱】
世界大百科事典 第2版より

古来,インドで宗教の最高目標とされてきたもので,輪廻(りんね)(サンサーラ)からの脱却,〈苦〉からの脱却,永遠の生,不死など種々の定義があるが,全体として必ずなんらかの意味で輪廻からの脱却ということにかかわっている。

歴史的にも,解脱の考えは輪廻思想の誕生と同時に発生している。
輪廻思想は,文献の上で見るかぎり,古ウパニシャッド(前7世紀前後)に初めて現れる。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

解脱 げだつ
日本大百科全書(ニッポニカ)より

インド思想一般および仏教用語。一般にはサンスクリット語の名詞ビムクティの訳語。
インド思想一般において、解脱は、現世、迷いの世界、輪廻(りんね)などの苦しみから解き放された理想的な心の境地と考えられ、この解脱を得ることが人生最大の目的とされた。解脱の詳細な内容や、そこへ至る方法は、各学派によってさまざまであるが、とくにわが国では、この語は仏教と結び付いて用いられてきた。

原始仏教聖典にはしばしば「心が煩悩(ぼんのう)より解き放される(解脱する)」の文脈がみられる。
それゆえ解脱とは
「煩悩から解き放された心の状態」である。

このためには三学(戒(かい)、定(じょう)、慧(え))中の慧(プラジュニャー、智慧)が必要であり、この慧は中道(ちゅうどう)、八正道(はっしょうどう)、四諦(したい)、縁起(えんぎ)、無我などの理解より生ずる。

小乗仏教においてもこの図式は変わらないが、とくに四諦の長期間にわたる絶え間ない学習、研究が重視され、これによって生じた智慧によって煩悩が断ぜられるとする。

いっさいの煩悩がなくなった心の状態が解脱であるから、これはまた
涅槃(ねはん)とまったく同一である。
この境地に到達した聖者は
阿羅漢(あらかん)とよばれる。

四諦の研究は人間存在を冷徹に見据えるけれども他者への働きかけが乏しいために、大乗仏教徒は四諦を重んじなかった。

彼らは空(くう)を理解する智慧(般若(はんにゃ))と、大悲(だいひ)に基づいて一切衆生(いっさいしゅじょう)を救わんとする方法の二つが結び付いた般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)こそが解脱、涅槃であると主張した。つまり大乗の解脱は、空に基づく他者への実践のなかにみいだされる。

このためには六波羅蜜(布施(ふせ)、持戒、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧)の長期にわたる修行が必要であるとする。

なお後代の密教はこの大乗の思想を受けて発展させ、とくに
弘法大師(空海)はこの解脱がこの世において得られること(即身成仏)を強調した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いろいろ難しく書いてありますね〜(ΘoΘ)

古来数千年以上、人類が求めてきた最高の境地ですから、多くの頭の良い人たちが議論を尽くしてきたのでしょう。

しかし、マスターゲートさんは
単純明快に「誰がそう考えているのか?」と問いかけます。

悟りは、自分がこの世界を創っていることを理解すること。
一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)です。

解脱は、輪廻転生から卒業することです。

ただ、それだけです。
あまり難しく考えすぎずに、
自覚を淡々と続けていくことを
勧めています。

宣伝になりますが、私の講座でも教えています。
興味のある方はのぞいてみてください。


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2016.01.26 Tuesday 17:10 | comments(0) | - | 

悟りと解脱 1

悟り
【お釈迦様は、35才で菩提樹の下で悟りを開きました。】

一度、悟りと解脱についてまとめてみたかったので、
仏教的見地から説明してみたいと思います。


・悟り

 「悟り」は、仏教で目指す究極のゴールで、そのゴールに達した人が「悟った人・仏陀」と呼ばれています。

インドでは、釈尊が初めて悟りを開かれる前から、「悟り」という言葉は知られていました。
「『悟り』とは、とにかく滅多に到達することができない、生命の最高の状態らしい」ということも知られていました。

インドの修行者たちはみんな、それがどんなものか分からないまま、その「悟り」を目指して修行していたのです。

そんな状況でしたから、「仏陀が世に現れた」「釈尊が悟りを開かれた」という話が広まった時、人々は、「仏陀が、とうとうこの世に現れたか」と感嘆したのです。

釈尊が悟りを開かれたことが知れ渡り、仏陀の教えが広まってからは、バラモン教など他の宗教の人も、仏教で出家して仏弟子になったり、在家のまま熱心な仏教信者になったりして、多くの人がそれぞれの段階の悟りを開きました。

ちなみに仏教では、誰にも教えられずに一人で完全な悟りを開かれた釈尊だけを「仏陀」と呼び、その後、釈尊の指導で悟りを開かれたお弟子さんたちは、その悟りの階梯の呼び名で「阿羅漢」と呼んで区別しています。

初期パーリ経典によると、
悟りは、四沙門果(修行者が得る四つの結果)と言われるように、四段階あります。
預流果、一来果、不還果の順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果で完成します。

注:沙門(しゃもん)
    出家して修行する人。仏教の修行僧。桑門。

参考にしたサイトです。
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html

解脱に続きます。

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2016.01.25 Monday 17:33 | comments(0) | - | 
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