マザーテレサの生涯年表
- 2017.09.30 Saturday
- 13:09
【若い頃のマザーテレサ、聡明で意志の強いお顔ですね〜】
簡単に、といっても長くなってしまいました〜 (^ - ^)
マザーテレサの生涯をまとめてみました。
◇マザーテレサの誕生
1910年(明治43年)8月26日、マケドニア〈旧ユーゴスラビア〉で誕生。
本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ(Agnesë Gonxhe Bojaxhiu)
9才の時に父親が亡くなる。
1928年9月26日(18才)、アグネスは修道女になろうと決心し、アイルランドへ渡り、ロレート修道会に入会しました。
修道名をシスター・テレサと改名しました。
その後、ダージリンのロレート学校で教師の訓練を受け、同時に病院の手伝いも始めました。
インドのコルカタ東部にあるロレート会の聖マリア女子高等学校で、地理と歴史の教師になり、その後、校長になりました。
1937年5月24日(26才)、終生誓願を立て、マザー・テレサと呼ばれるようになりました。
◇天からの神の声
1946年、インドで宗教反乱が起き、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒との争いでたくさんの人々が死にました。
同年9月10日は“インスピレーションの日(決意の日)”になり、マザーの人生を大きく変えました。
ダージリンにある修道会で大事な黙想の行に入るために夜汽車に乗り、むし暑い車内で、「修道会を出て貧しい人々につかえる決意をせよ。そして貧しい人々と一緒に生活せよ」と言う神の声を聞きました。
1948年4月12日、ロレート修道会を離れ独自な活動の許可をローマ法王より与えられました。
この頃から、トレードマークの白いサリーを着るようになりました。
◇マザーの活動
1948年8月17日(38才)、ロレート修道会を出て、コルカタのスラム街の貧しい人や孤児たちのための奉仕活動を始めることを決心しました。
その後、アメリカン医療宣教修道女会で看護のための医療の訓練を4ヶ月間受け、子供や病人の世話をすることから、一人だけの「宣教」を始めました。
1949年2月にマザーは貧しい人達のために、1人で本格的な救済活動に取り掛かりました。
1950年7名のシスターがマザーと一緒に活動をはじめました。
同年にコルカタ大司教とローマ法王ピオ十二世から、修道会の外へ出て生活をする許可を得ました。
◇ボランティア施設の歴史
1952年8月22日(42才)、コルカタ市役所からヒンズー教寺院の一部を頂き、「死を待つ人の家」ニルマル・ヒルダイを開設して、
路上やスラムで死にかけている人々を収容して治療を始めました。
1955年(45才)、カルカッタ市内にめぐまれない子供たちや孤児のため「孤児の家」を開設しました。
1959年にハンセン病の移動診療所を始めました。
同年初めカルカッタから西へ約600キロ、ランチの町に修道院を開設しました。
1960年10月18日カルカッタの郊外にハンセン病の患者たちの治療を始めました。
1968年マザーは56歳の時ハンセン病患者の療養施設シャンティ・ナガル「平和の町」を作りました。
◇マザーが与えられた数々の賞
1962年8月11日インド政府からインド国内の栄誉「Padma Shri」という称号を与えられました。
1971年1月6日にパウロ六世より、ヨハネス二十三世法王平和賞
ボストンの善きサマリア人賞
11月にケネディー国際賞を受賞
1972年11月、インドの大統領からジャワハルラル・ネール国際平和賞を受賞
1973年、テンプルトン賞を受賞
1975年、シュバイツアー賞を受賞
1979年12月10日、マザー・テレサ(69才)、ノーベル平和賞授賞
ノルウェーのオスロ大学の大講堂で開かれたノーベル平和賞の授賞式では、白地に青いふち取りのサリーにセーターといつもの革ぞうり姿で講演し、ノーベル平和賞の金メダルと賞状賞金を頂きました。
「わたしは受賞に値しないが、 世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けました。」
1980年3月22日、インド政府から国内最高の栄誉「Bharat Ratna−インドの宝」という称号を渡されました。
同年末には世界35カ国、計178カ所にミッショナリーズ・オブ・チャリテイのセンターが設立されました。シスター数1335人でした。
1983年にローマ法王と会見中に最初の心蔵発作を起こしました。
同年11月英国女王エリザベス2世から「Order of Merit」賞を受けました。
1985年にレーガン大統領からアメリカの最高国内の栄誉「Medal of Freedom」という称号を授与されました。
1996年(86才)、世界で4人だけしか受けたことがない、アメリカの名誉市民の称号を受けました。
◇マザーの最後
1997年3月13日体力の限界を感じて、マザーは神の愛の宣教者会の総長を引退しました。
9月5月の夜9時30分頃心臓発作のため87才で亡くなりました。
マザーの訃報を聞いて宗教を問わず数万人の市民がマザー・ハウスに列を作って花束や花輪を持って祈りました。
インド政府は異例とも言える国葬を行い、マザー・テレサに最大限の敬意を表しました。
9月13日の国葬の日、マザーの棺は、陸軍兵によって砲車に乗せられ、カルカッタ市内を約1時間かけて国葬会場まで行進しました。
砲車はインド独立の時にイギリス軍から引き渡された歴史的な砲車でした。
独立の父マハトマ・ガンジー、初代ネール首相につづき、マザー・テレサは3人目でした。
【マザーの墓】
マザーの墓は、Missionaries of Charity〈ミッショナリーズ・オブ・チャリテイ〜神の愛の宣教者会〉の本部内にあります。
今でもマザーへ会いに世界中から訪れています。
http://www.motherteresaindia.net/aboutmotherteresa
こちらのサイトを参考にしました。
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