【古代ギリシアの女性たち 壺の絵の模写】
図書館で見つけた分厚い本「才女の歴史 古代から啓蒙時代までの初学のミューズたち」に、興味深い文章がありました。
著者は、歴史上の教養ある女性について研究したスウェーデンの女性作家です。
科学・哲学史のジャーナリストとしてTV局で10年以上の活躍後、この本でスウェーデンのノンフィクション賞を受賞しました。
西洋でも、昔は女性は父親や夫の所有物として扱われていました。
文字の読み書きができる女性は少数派でした。
また、家庭内では読み書きが許されていても、 公の場に出ることは許されませんでした。
文献に名前が残ることはごくごく稀なことだったのです。
そんな数少ない資料を掘り起こして、知られていなかった才女達の歴史を調べた力作です。
本書には、古代エジプトから19世紀までの約20名の才女が紹介されています。
中でも、私が興味を持ったのは、数秘術の祖ピタゴラスの妻の話でした。
以下、短くまとめてみました。
(それでも長いです。 (;^_^ A )
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ピュタゴラスの妻テアノの物語
紀元前6世紀、南イタリアのギリシャ植民都市の1つクロトンは、
地中海交易で栄えている都市のひとつだった。
ギリシャの植民都市国家間では、熾烈な競争が耐えなかった。
放浪の哲学者ピタゴラスがこの都市にやってきたのは紀元前520年頃だった。
彼はここで地元の有力者ブロンティノスと出会った。
彼は、博識な国際人ピタゴラスを喜んで迎え入れ、娘のテアノを彼に紹介した。
そしてテアノはピタゴラスの最初の弟子となり、最初の女性弟子でもあった。
ピタゴラスは女性を弟子にしたギリシャ初の哲学者であった。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
ピタゴラスはギリシア東部、イオニアのサモス島に生まれた。
父親はムネサルコスという名のフェニキア人で、金細工師か、篆刻師をなりわいとしていたらしい。
青年期のピタゴラスは多くの町々を転々とした。
その一つがギリシャ哲学が誕生したとされるイオニアの都市、ミレトスである。
また、ピタゴラスにはザルモクシスと言う奴隷がいて、主人に北方のシャーマン的な伝統と魂の輪廻転生という教義を伝えたという。
ピタゴラスは東方世界の影響も受け、とりわけエジプトとバビロニアの様々な思想にも感化された。
こうして、南イタリアの都市クロトンにようやく落ち着き、自ら教団を起こすのだった。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
ピタゴラス研究については大きく2つの系統がある。
1つはピタゴラスの宗教者としての側面、
もう一つは哲学者としての側面である。
宗教的には、彼は個人的な救済の教義を説いたカリスマ的なシャーマンだった。
教団における主要な教えは、秘密の遵守、厳格な清めの儀式、アポロン神の崇拝などからなっていた。
もう一つは、数と数学から理解できる世界、物質世界とは別な真実の世界と言う概念を、ギリシア哲学にもたらしたのである。
プラトンは後に、この真実の世界を〈イデア界〉と呼び、ピタゴラスからの贈り物と公言していた。
アリストテレスは、ピタゴラスの教えは〈万物の根源〉に合理的な説明を加えようという試みによって哲学的な体系になっているという。
ピタゴラスにとって〈万物の根源〉は数だった。
世界は唯一、数を介してのみ正確に秩序立てることが可能で、1粒の砂から宇宙に至るまでの全てが数と図形によって定義できると考えていたのである。
ピタゴラスはまた、音楽にも大きな関心を寄せていた。
後に〈ピタゴラス音律〉と呼ばれる調性を案出した。
この発想が〈天球の音楽〉である。
数、宇宙論、楽理、魂の転生に関するピタゴラスの理論はすべて、倫理と言う赤い糸によってひとつなぎに結ばれている。
この知の体系全体が、公正で善なる生活を教えているのだといっても過言ではない。
人は魂をより高みにのぼらせることによって、次の生ではいっそう高次の存在として生まれ変わるという方法を示しているのである。
これらの教義は教団員や信奉者たちによって、700年余にわたって伝えられ続けた。
そこには女性の書き手のものも多かった。
彼は魂に男女の別はないと考えていて、女性を含むあらゆる人々が魂をより高次に送り込むことができるはずだった。
こうした女性への敬意は、軍事都市国家スパルタの人々から得たと思われる。
スパルタでは、女性たちが重要な社会的役割を果たしていたが、当時のギリシャ社会、特にアテナイでは軽んじられていた。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
古代ギリシャの女性たちが置かれた地位を、
女性の権利からみると、古代ギリシャの古典期(前5世紀から前4世紀)は暗黒時代で、ことにアテナイにおいて顕著だった。
女性は法律上、父親と夫に完璧に依存する存在であり、家庭内に半ば監禁される形で専用の住まいが定められ、社会的な権利や自由に至っては一切認められていないに等しかった。
ただし、スパルタでは女性の地位やあり方は異なっていた。
ギリシャ神話に登場する女性たちは実に力強く、ホメロスによるイリアスとオデッセイを見ても女性が賞賛の的として描かれている。
また、女流詩人サッフォーなども強く自立した才能ある女性の好例なるだろうし、繊細な筆致で女性を表現した数多くの記念碑やレリーフが存在している。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
テアノは上流階級の子女だった。
父ブロンティノスは娘がピタゴラスの講義を受けることを許し、ピタゴラスとの結婚は双方の希望だった事は明らかである。
こうしてピタゴラスの最初の弟子は妻と義父だった。
ピタゴラスの数秘術とともに、魂の転生への考察と宇宙の調和的な構造の解説がなされている研究論文「特性について」にはテアノの名が記されている。
記録によるとピタゴラス亡き後は、テアノが息子たちとともに教団活動を指導した。
また別の伝記には、自らの教えに関する秘密の文書を全て娘のダモに引き渡したと書かれている。
彼の教えは、プラトン、アリストテレスの影響もあり広く世に知られ、
没後700年以上にわたって途絶えることなく、それらは後期ピタゴラス派と呼ばれた。
その中には女性の姿もあり、ピントス、ペリクティオネが有名である。
プラトンの母、ペリクティオネは、人間の徳性を家庭内で育んでいくよう女性たちを激励した。
また、ピタゴラス派の女性たちによる文書には多くの手紙が含まれている。
子供の世話や教育、家庭の管理等に関して論じ合う書物は、テアノや彼女の娘たちであるメリッサとミュイアの名前で記されている。
これらの手紙から、当時の女性たちの文化を知ることができる。
家庭と言うのは小規模な国家なのであり、それをどのように営み導いていくかは決して小事とは言えないのだ。
重要なピタゴラス派の女性として挙げられている人物は17人に及ぶ。
ピタゴラス教団は、その本質においては宗教的だった。
宗教は特に古代ギリシャにあっては女性の活躍する場であり、完全な家父長制度下にあったアテナイに置いてでさえ、女性が自由に参加できる唯一の領分だった。
古代において女性を受け入れたのは、ピタゴラスはばかりではない。
キュレーネは、エピクロス派でも女性の姿が見受けられたのである。
その中にはレオンティオンと言う名高い女性哲学者がいた。
しかしアテナイでは彼女は高級娼婦という烙印を押されていた。
それでも女性哲学者たちの名が古代ギリシャの多くの文献に登場するという事は、彼女らの実在と活躍を裏付けるものだろう。
終わり
文章が難しいのが難点ですが、読み応えのある本です。
他の才女たちも紹介したくなりました。
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