世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
お金はいりません「大悲寺」
商魂たくましい「少林寺」
現代の僧侶はどう生きるべきか?“修行”それとも“金儲け”
2008年10月31日 金曜日 北村 豊 から紹介します。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20081030/175729/?ST=sp_china
今年1月、中国のネット掲示板で対照的な二つのお寺が話題になりました。
再建の道を歩みつつある中国の仏教
その前に中国の仏教の現状はどうなっているのでしょうか。
2000年の歴史のある中国の仏教は、1949年以降中国共産党の政権によって活気を失いました。さらに、文化大革命の寺院の破壊や僧侶の迫害により、さらに衰退しました。その後、中国政府は宗教を容認する方針に転換し、仏教は再建の道を歩みつつあります。
現在中国国内には、チベット語系仏教とバーリー語系仏教を除いた中国の仏教(=大乗仏教で日本と同じ)の僧・尼が約7万人、寺院が8400カ所あります。
話題となった二つのお寺とは、「大悲寺」と「少林寺」です。
【大悲寺】
賽銭箱が置かれていない寺「大悲寺」
大悲寺は遼寧省南部の1668年創建の古い寺院です。
この大悲寺は1949年に中華人民共和国が成立してからは学校として使われていましたが、1999年の宗教政策の変更により、仏教寺院として復活しました。
その後、信者たちが献金を募って本殿を修復し、観音堂、念仏堂、僧坊を新築、流出していた本尊を買い戻し、寺院としての装いを一新しました。
2000年には釈妙祥大師が住職として「妙祥僧団」と呼ばれる弟子たちを引き連れて大悲寺に入り、釈妙祥大師の指導の下で僧侶たちは厳しい修行の日々を送るようになったのです。
“不捉金銭戒”を守る「大悲寺」
大悲寺の僧侶は“不捉金銭戒”(金銭に触れない戒律)を守っており、同寺には“功徳箱”(賽銭箱)が置かれていません。“
大悲寺の僧侶には次の8つの戒律が課せられています。
1.金銭に触れない戒律
2.日中1食(正午を過ぎたら食事はしない。お茶、飲料、果物も取らない)
3.行脚する(乗り物には乗らない)
4.托鉢を行う(食物のみで金銭は受け取らない)
5.外部の僧侶の贈り物は受けない
6.僧侶が受け取った供物はすべて寺に収め、僧侶全員で等しく配分する
7.僧侶の所持品である3種類の衣と1つの鉢は肌身離さず、18種類の必需品は常に準備しておく
8.托鉢しても無理強いせず、人に求めない
大悲寺の僧侶たちは年に数カ月間を数万キロの行脚を行い、托鉢をしながら各地で仏の教えを説いています。その間、彼らは毎日を野宿で過ごし、決して他人の家に泊めてもらわないそうです。
こうした彼らの真摯な姿に、信者は年々増え続け、過去8年間で“比丘”(僧侶)となった者数百人、仏教に帰依して信徒となった者は数万人を数えています。厳粛なたたずまいを見せる大悲寺は僧侶たちの深い慈愛に包まれているそうです。
少林寺拳法で名高い「少林寺」
これに対して、少林寺拳法で名高い「少林寺」は、河南省登封市の山の麓にあります。4世紀北魏の皇帝孝文帝がインドから来た仏教僧達磨(だるま)のために建立した禅宗寺院です。
七世紀唐の初め、後に第2代皇帝となる李世民が戦場で少林寺の僧兵13人に救い出されたことで、皇帝は少林寺の僧を大将軍に任じて、少林寺に僧兵の訓練、殺人、飲酒食肉を許可しました。こうして僧兵を擁する少林寺は歴代王朝の支援を受けて大寺院となり、「天下第一の名刹」という称号を博するようになったのです。
やがて、僧兵による少林武術は飛躍発展を遂げ、少林寺の僧は2000人以上に膨れ上がりましたが、次第にその勢力は衰えて忘れ去られました。
映画「少林寺」で大ブレイク、中国武術の代名詞へ
1982年に公開された香港映画「少林寺」は、李世民と少林寺の僧兵13人の故事を描いたものでしたが、全世界に旋風を巻き起こしました。
文化大革命が終了した頃の少林寺は荒れ果て、寺内には十数人の僧侶しかおらず、しかも老人がほとんどで少林寺拳法ができる者は1人もいなかったそうです。
ところが、映画「少林寺」が公開されるや、少林寺には国内外からも観光客が押し寄せるようになり、今では年間に数百万人が押し寄せる盛況ぶりです。また、登封市には少林寺拳法に由来する「中国武術」を教える民間学校が20校前後もあり、10万人以上の生徒たちが中国武術を学んでいます。
数百万人の観光客、10万人規模の武術学生は、登封市のみならず河南省にとっても重要な収入源であり、これも少林寺あったればこそで、少林寺は貴重な文化財であるとともに金銭を生み出す「打ち出の小槌」というべき存在なのです。
「少林寺実業」を設立、人気をビジネスに結びつける
こうした少林寺の人気をビジネスに結びつけたのが少林寺の“方丈”(総住職)である釈永信でした。釈永信(1965年生)は、17才で共産党から少林寺に派遣され、出家して僧侶になりました。
その後、少林寺拳法研究会、少林寺武僧団を組織して団長となりました。また、弱冠22歳で全国最年少の住職となりました。、少林寺1500年の歴史で最年少の継承者となったのです。
少林寺は、「仏教寺院」から「商業寺院」への転換を図ることになりました。これには「少林寺」を商標として勝手に使用する国内外の企業があまりにも多かったためです。少林寺は1998年「少林寺実業」を設立しました。
その後「少林寺」に絡む45種類200項目余りの商標登録を取得し、2000年10月にはEU(欧州連合)、米国、マレーシアなど30の国・地区で「少林」の商標登録を申請。また、2004年には、「少林寺」が国家工商管理総局から著名商標として認定を受けました。こうして、「少林寺実業」には商標使用料が国内外から次々と支払われるようになったのです。
(いったいどのくらいの収入があるのでしょうか?気になるところです。)
総住職は、やり手の大スター
一方、釈永信は1988年に少林寺武僧団を率いて初めて少林寺拳法の海外公演を行い、今日までに世界の60の国・地域で公演をしています。
1999年には英国バッキンガム宮殿で公演を行い、エリザベス女王から接見の栄誉を賜りました。2004年に胡錦涛国家主席のブラジル訪問に少林寺武僧団を率いて随行した釈永信は、サンパウロで少林寺拳法の公演を行いました。
“方丈”としての釈永信は常にメディアから注目を浴びる存在となっています。今や飛ぶ鳥も落とす勢いの釈永信は、全国人民代表(国会議員)であり、全国仏教協会副会長、河南省仏教協会会長も努めています。
釈永信にはたくさんのファンがおり、少林寺を訪れたファンに記念のサインをしたり、携帯電話の縁起の良い番号の入札会に参加し、落札された電話番号に開眼供養を行ったりしています。
本当に商魂たくましいです。
ネットの掲示板では
「貴方は現代の僧侶は現代社会に溶け込むべきだと思いますか?」という設問の投票欄が置かれています。その選択肢は3つです。
[1] 溶け込むべき。僧侶も時とともに前進すべきである。
[2] 溶け込むべきではない。僧侶は心静かに修行すべきで、積極的に実社会に入るべきではない。
[3] なんとも言えない。
10月26日までの投票総数 10万4945人の内訳は
[1] 2903人 (2.77%)
[2] 9万9270人 (94.59%)
[3] 2772人 (2.64%)
でした。
お金儲け第一主義の中国で、若いネットユーザーの意識は意外にまともでした。
ちょっぴり安心しました。(^_^)
少林寺の住職釈永信は、過去生でも少林寺の僧でした。あまりの寺の凋落ぶりに、立て直しのために生まれ変わってきました。過去に少林寺の僧兵だった者もたくさん一緒に転生してきています。
お寺の再興のために、あの世から力を合わせて転生してきたのは、素晴らしいことですが、こんなに金儲け主義でいいのかな?と疑問に思います。σ(・ω-;)
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