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8.魂のふるさと、アビドス

ラーヘテプ王子と妻ネフェルトの坐像
【ラーヘテプ王子と妻ネフェルトの坐像 前2600年頃】
発掘時、あまりのリアルさに作業員が恐れおののいて逃げ出したそうです。

 1956年3月3日、51才のドロシー・イーディーはカイロ中央駅から520キロ南のアビドスまでの道切符を購入すると列車に乗り込みました。

アビドスはどんな所なのでしょうか?
地図上のアビドスの名前はエジプト語で「埋もれた村」という意味です。

 ドロシーが赴任した当時のアビドスには電気も水道も通じていませんでした。水は2つの井戸からくみ出されヤギ皮の容器で配給され、道路も舗装されていませんでした。

アビドスの地図
【アビドスの位置を示す地図】

 しかし、古代はオシリス信仰の中心地でした。第12王朝時代には毎年数千人の巡礼がオシリスの墓に詣でるためにアビドスにやってきました。また、そこで行われる神秘的な宗教劇を見物しました。

 敬虔なエジプト人にとってアビドスに葬られることは一番の望みでした。古代エジプトの宗教の熱心な信者のドロシーもまた、アビドスに葬られることを熱望していました。ドロシーの短かった前世でもっとも重要な場所がアビドスのセティ1世神殿でした。

 セティの神殿はエジプトで最も美しく保存の良い建築物です。セティ1世の父ラムセス1世は元軍人でした。セティも勇敢な軍人で、シリア、リビア、レバノン、ヌビアまで軍事遠征を行いました。その後、30代前半でファラオとなりました「復活をもたらせし者」と自ら称したセティは、腐敗を是正し、役所の非能率性を改善し、第18王朝の王アクエンアテンの宗教改革で失われていたエジプトの国力を復活させました。

 神殿はセティの治世中に建設され、ファラオが亡くなったときほぼ完成しました。最後の仕上げは息子ラムセス2世が行いました。また、王家の谷にあるセティの墓は、王家の谷の王墓の中でも最大級の大きさと美しさを誇っています。

 セティ神殿には他の神殿と変わった点がいくつかありました。伝統的な長方形の形ではなく、L字型の構造になっていることでした。

 また、一つの神だけでなく、7つの神を奉った7つの礼拝堂がありました。セティの方針でエジプト国家をひとつにまとめるために、エジプト各地の神も祀っていたのでした。

 ドロシーは、この神殿を初めて訪れたとき、「まるで以前、暮らしていた場所を歩いているような感覚」を覚えました。

 ドロシーは言いました。

私はこの場所を知っている。どこに何があるか、それが何かまですべて知っているわ。

 すると同行の監督官は言いました。

そんなことはありえません。この神殿のきちんとした目録もガイドブックも未完成なのだから

 そこで、ドロシーは監督官やもう一人の監督官と建築家3人と共に夜の神殿を訪れました。かれらは懐中電灯を持っていましたが、ドロシーは何も持たず、真っ暗な中を一人でどんどん入って行きました。

 そして、監督官に指示された地点まで暗闇を迷わずたどり着きました。彼らはびっくりして「単なる偶然です。もう一度やりましょう」そんなことを4,5回繰り返して、一度も間違えませんでした。彼らはうさんくさげに「この女は何者だろうとあやしんでいたわ」と後にドロシーは回想しました。

セティ1世神殿の内部
【セティ1世神殿の内部】

 エジプトの村では、結婚している女性を本名で呼ぶのは不作法とされていました。ドロシーも、アビドスではオンム・セティ(セティの母)という名で呼ばれました。

 電気のない村の生活は夜明けと共に起き、日暮れとともに寝る古代そのままでした。ドロシーは末な小屋を買い、屋根の上に泥で部屋を作り、一階はロバやネコなどの動物のすみかに、二階を自分の部屋にしました。

 ドロシーのアビドスでの仕事はセティ神殿で見つかった石の門や列柱や窓格子のバラバラの破片を分類し組み合わせて、刻まれた碑文を翻訳する作業でした。これを完成させるのに2年かかりました。考古局の主任や職員たちは、その仕事の正確さやヒエログリフを翻訳するみごとな手腕に舌を巻きました。

 また、夢で見た神殿のそばのも発掘されました。それはドロシーが言ったとおりの場所にあり、井戸には今でも水がありました。

 ドロシーは神殿の中に自分の仕事部屋を持ち、一日中そこで仕事をしていました。すると、たくさんの不思議な体験をするようになりました。

 偶然、秘密の隠し部屋に紛れ込んだり、コブラと友達になったりもしました。
 
 しかし、私たちから見て一番の不思議は3,000年前のファラオとの逢瀬でしょう。


セティ1世とトト神
【セティ1世神殿内の壁画 セティ1世とトト神】

ドロシーの日記

昨夜、王様がおいでになられた。私がプロパンガスの明かりで屋外のベッドに横になってSF小説を読んでいるときだった。愛情に満ちたあいさつの後、王様は新しい家の住み心地は快適かとお訊きになった。

「はい」と答えると、「そなたとともに見せてもらおう」とおっしゃった。王様は私の肩に腕を回し二人で歩いた。王様は私をしっかり抱きしめ、キスをしてくれた。アビドスにやってきてから、王様は私の額や頬や手にしかキスなさらなかった。

部屋に入ると、母ネコが恐怖のあまり叫び声をあげた。仔ネコたちを守ろうとしたのだ。王様はおっしゃった。「怖がらずともよい、小さな母よ。余はそなたの赤子たちをとって喰うつもりはない」


ドロシーの日記

王様が昨夜、またおいでになった。私は眠っていたのだけど、ネコのメリイが鳴きわめきながら家を飛び出していったので、目が覚めた。

王様はうんざりされているご様子だった。私はすぐに王様のもとに行った。王様は私にキスし、抱いてくださった。「ベントレシャイトよ、孤独な疲れた老人が、そなたのネコがいましがた逃げ出したばかりの場所で眠りたがっているのだ」

私は言った。「あなたは老人ではありませんわ。愛しい方。今夜はもう寂しい思いなどなさりませんわ。いらしてください」私たちは並んで横になった。王様は私に腕を回し、まもなく二人は眠りに落ちた。目覚めたとき、しまってあった毛布が私にかけてあった。きっと王様が私にかけるものを探してくれたに違いない。こんなにひんぱんに王様に会えて、私は幸せだ。


 ドロシーの仕事や業績を認めたたくさんのエジプト研究者が、海外からもアビドスまで会いに来るようになりました。今では、彼女は伝説の人でした。あこがれや尊敬の思いで見られるようになっていました。しかし、経済的にはとても貧しい生活でした。

 ドロシーはセティ神殿を見物に来る観光客のガイドを始めました。その収入のほとんどは神殿修復のために寄付してしまい、自分と動物たちは最低限の生活のままでした。

 ドロシーの外見は年齢よりずっと老けて見えました。それは、セティ1世が物質化するたびにエネルギーを使われていたからでした。それでも、ファラオと会うことは至福のひとときでした。

つづく

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2011.03.09 Wednesday 20:35 | comments(0) | - | 
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