マザーテレサとダイアナ妃の出会い
- 2017.10.22 Sunday
- 11:06
【facebookより】
貧民街の聖女と呼ばれていたマザー・テレサ、イングランドのバラと呼ばれたダイアナ元皇太子妃。
あまりにも違いすぎる二人の関係について書いてみます。
宗教的にはマザーテレサはカトリックのイエズス会、ダイアナ元妃はアングリカンでした。
*アングリカンとは、15世紀にできたイングランド国教会のことです。
当時の国王、ヘンリー8世が離婚しようとしましたが、ローマのバチカンでは認めてもらえないので、カトリックから分離して創った宗派です。
マザーとダイアナが、交流を始めたのは1991年。
ロンドンの某授賞式で面会しようと、マザーがダイアナ妃に手紙を送ったのが、始まりだったと伝えられています。
この面会は、実現しませんでしたが、翌年2月、ダイアナ妃が、ローマのマザーの修道院を訪ねたことで、2人は初対面しました。
この時の面会時間は予定をはるかに超え、30分にも及び、2人きりでチャペルに入りイエスに祈りを捧げたそうです。
【'97年6月、尊敬するマザー・テレサとダイアナ、NYの修道院で】
2人が最後に会ったのは、97年6月。
アメリカ、ニューヨークの修道院に滞在していたマザーを、ダイアナが訪問しました。
2人が交わした言葉や、手紙などは公表されていませんが、死後、世界各国で開催されたダイアナ展『Diana, A Celebration』には、93年にマザーがダイアナに贈ったという祈祷書が展示されており、2人の親交の深さを物語っています。
敬虔なカトリック信者のマザーは、避妊、妊娠中絶、離婚は罪で、絶対にしてならないと強く言っていました。
しかし、別居中のダイアナの離婚が決まったとき、
「ダイアナは本当にかわいそうな子だ。彼女は多くの愛を与えているのだから、少しは取り戻すべき。結婚が終わったのは、喜ばしいことだと思う。あの結婚生活で幸せな者など、誰一人としていなかったのだから。自分が、家族愛や家族の絆を説くべきき立場にいるとは分かっているけれど、このケースはね・・・・」と、ダイアナの離婚を祝福するような言葉を述べました。
この発言は、たちまち世界中に伝わり、マザーはすぐに宗教新聞「カトリック・ヘラルド」に、「私は、離婚を勧めたことなど一度もない。夫婦間に問題が生じたら、神に祈りを捧げなさいと、常に説いてきた」という言葉を寄せ、一貫して、離婚には反対していると主張しました。
表向きは反対していても、詳しい内情を知れば、仕方ないと思うこともあったのでしょうか。
【96年8月、パキスタンの病院でがんに苦しむ子どもを抱きしめるダイアナ】
ダイアナが他界したのは、1997年8月31日。享年36歳
ダイアナが、衝撃的な事故で亡くなったという知らせを受けたマザーは、すぐに、「彼女は貧しく恵まれない人々のことを、常に気にかけていた。彼らのために何かできることはないのかと、考えていた。だから、彼女は私にとても近い存在だったのです」という哀悼のコメントを発表しました。
亡くなった翌日の9月1日は、対人地雷全面禁止条約の起草会議開催日でした。
会議でダイアナ元妃死去のニュースと生前の功績がクローズアップされ、ダイアナが取り組んできた対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)が締結しました。
マザーが他界したのは1997年9月5日。享年87歳。
心臓が弱ってペースメーカーをつけ、マラリアにも感染していたマザーは、ダイアナの死に大きなショックを受けたのでしょう。
ダイアナの死から1週間もたたないうちの死でした。
ダイアナの最期の言葉は、「あぁ、神よ(Oh my God)」、
マザーの最期の言葉は、「イエスよ、愛しております(I love you Jesus)」だったと伝えられています。
その年の1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4000人を数え、123カ国の610箇所で活動を行っていた。
活動内容はホスピス、HIV患者のための家、ハンセン病者のための施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などである。 ウイキペディア
参考記事:(時系列が詳しいので参考にしましたが、筆者のマザーテレサは偽善者だとの考えには賛成できません。)
マザー・テレサは“王室かぶれの偽善者”だった!? ダイアナ妃との癒着も
私は、二人の関係は現世だけではなかったと考えています。
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