9.ドロシーとハニーの友情

  • 2011.03.14 Monday
  • 09:16

きれいに修復されたセティ1世神殿
【きれいに修復されたセティ1世神殿】

 地震直後ですが、今回でドロシーとファラオの物語は終わりです。

 人は肉体を失っても生きている証です。最後の時にはすでに魂が肉体を抜け出ていることが多いと言われています。魂の存在を信じることで、愛する人に再会することもあります。

・・・・・・・・・・・

 ドロシーはアビドスに来てまもなく、アマチュア考古学者のハニー・エル・ゼイニ知り合いました。エジプト人の彼は製糖会社の社長でした。二人は考古学の話が合い無二の親友となりました。

 彼はドロシーが普通では知り得ない情報をどこから得ているのか、不思議に思っていました。それとなく訊ねても、いつもはぐらかされてしまいました。

ハニーの記録

 あるとき、私(ハニー)はオンム・セティと神殿の修復現場を歩いていた。私は神殿が以前よりずっときれいで快適なものになってよかったと言った。

「そうね。まるでセティ1世やラメセスの時代にとても近いものになったわ」
「どうして、これが当時の神殿の姿に似ているとわかるのですか」
彼女は少しためらってから言った。
「だって、この神殿が建てられたとき、私はここにいたのですもの。まだラメセスがあれこれ改築を行う前にね」

「では、あなたはこの神殿が建てられたとき生きていらしたのですね」
私は彼女のジョークを受けて答えた。ところが、彼女はきわめてまじめな顔をして言った。

「そうよ、生きていたのよ。それは私のもう一つの人生だったの。私は十代の少女だった。シュネト・エル・ゼビブの数百メートル東にある村で、とても貧しい夫婦の間に生まれたのが私だったのよ」

私はなんと答えてよいかわからなかった。いま彼女が口にした言葉を信じろというほうが無理だった。

その後、ドロシーの死後、まさに彼女が語った場所から古代の村の跡が発見されたのでした。


不思議な壁画
【こんな不思議なヒエログリフもあるセティ1世神殿の壁画】

1980年、英国放送協会が彼女のエジプトでの人生をテーマにしたドキュメント番組を制作しました。1981年には「ナショナル・ジオグラフィック」のドキュメント・フィルム「古代エジプト 永遠の命を求めての1章にドロシーのインタビューが納められました。その中には彼女の77回目の誕生パーティのシーンもありました。その48時間後、ドロシー、オンム・セティは眠るように亡くなりました。


イシスとネフェルタリ
【女神イシスと王妃ネフェルタリ】

 生前、ハニーは仕事に疲れたとき、ふと思いついてドロシーに会いに行こうとジープでアビドスへ向かいました。ドロシーはハニーを見たとき、「イシス様はなんて、思いがけない喜びをくださるのかしらと叫びました。二人はハニーが持参した紅茶やビスケットを黙々と食べました。

ハニーの記録

 しばらくして、オンム・セティが低い声で言った。「王様が今ここにいらしたら、どんなにすてきだったかしら。私、あなたに王様に会ってほしいと思っているの。きっと、あなたも楽しいはずよ」

 オンム・セティは以前にも、同じようなことを口にしたことがあった。けれども、私はさらりと受け流していた。しかし、この日は何かが違っていた。私たちは数分、何も言わなかった。それから、オンム・セティは私を見ると真剣な口調で言った。

「今までにちらっと話したことはあったけれど、あなたはとくに気にもとめなかったから、私もそれ以上何も言わなかった。以前、王様に、私たちの話をあなたにしてもよろしいですかと訊いたことがある。王様は「そなたが彼を信用しているなら、するがよい」とおっしゃった。私はあなたを信用している。だから、話をしたいの」

「私も伺いたいと思います」と私は言った。
 その瞬間、それまでオンム・セティと私の間を隔てていた目に見えない壁が突然、崩れ落ちたように
感じた。

 オンム・セティが私に自分の真実の物語を語ろうと決めたとき、私もまた彼女の話に耳を傾け、それを信じる準備ができていた。話を聞いた私は、彼女が三千年以上隔たった異なる二つの世界を、なんの矛盾もなく、ともに生きてきたことを理解した。彼女は努力してそうしていたのではなく、ごく自然にそれを行っていたのだ。


女神ハトホル
【女神ハトホル セティ1世神殿の壁画】

ドロシーの日記

 昨夜、約束どおり王様はいらっしゃった。・・・初めてのキスをしたあと、王様は椅子の背にもたれておっしゃった。「ここはとてもすばらしいところだ、かわいい人。扇で風を送ってくれる者までおるではないか」

 王様が指さした先には、そよ風で穏やかに揺れる椰子の葉があった。あたりは月の光で満たされていた。

 しばらくして王様がためいきをついておっしゃった。

「ベントレシャイトよ、私とそなたがメン・マアト・ラーの家の庭で月明かりの下で一緒に座り、初めてそなたを愛したあのときから、どれほど長い時がたったことか。今こうしてアビドスの月明かりの庭でふたたび、そなたとこうして座っている。私たちの愛にはいささかの揺るぎもない。おかしなことではないか。決して朽ちることのない石で作られた偉大な建造物がすっかり消え失せても、われわれの愛に変わりがないとは」

 私は答えた。「建物だけではありませんわ。私たちが初めて愛を知ってから、偉大な帝国が興っては滅んできました。一度、滅んだ国は決して元には戻りません」

 私はレスボス島出身の女流詩人サッポーの詩を読んで聞かせてあげた。

愛はとてもはかないもの
一目だけで、一つの言葉だけでも失われてしまう
恋人たちよ、愛をていねいに扱いなさい
愛はたいへん強いもの
揺るぎない真実によって愛はさらに強くなる
神々でさえ手が出せぬほどに

 王様はこの詩を気に入り、もっと聞かせてほしいとおっしゃった。私は覚えているかぎりのサッポーの詩を朗唱した。・・・

 王様は腕を回して私を引き寄せた。そのままじっと静かに満ち足りた気持ちでいた。しばらくして王様は満足そうなため息をつかれた。

「この瞬間を与えてくださった神々に感謝したい。ベントレシャイトよ、この平和こそ、われわれが許されたことの証なのだと思いたい。そなたは幸せか、かわいい人よ」

「幸せ以上ですわ」と私は言った。

 私たちはふたたび沈黙した。私は王様の腕の中で眠ってしまったのだろう。おぼろげに私は覚えている。王様が私を抱いてベッドに運び、毛布をかけ、それからいつまでもキスしてくれていたことを・・・

   完

晩年のドロシー
【晩年のドロシー】

 ドロシーはイシスの魔術の研究もして、実際に使っていました。それはどんなものだったのでしょうか。ドロシーの研究が発見のきっかけになった遺跡、王様から聞いた古代エジプトの様子など、まだ、たくさんの興味深いことがあります。ぜひ、本を読んでみてください。

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8.魂のふるさと、アビドス

  • 2011.03.09 Wednesday
  • 20:35

ラーヘテプ王子と妻ネフェルトの坐像
【ラーヘテプ王子と妻ネフェルトの坐像 前2600年頃】
発掘時、あまりのリアルさに作業員が恐れおののいて逃げ出したそうです。

 1956年3月3日、51才のドロシー・イーディーはカイロ中央駅から520キロ南のアビドスまでの道切符を購入すると列車に乗り込みました。

アビドスはどんな所なのでしょうか?
地図上のアビドスの名前はエジプト語で「埋もれた村」という意味です。

 ドロシーが赴任した当時のアビドスには電気も水道も通じていませんでした。水は2つの井戸からくみ出されヤギ皮の容器で配給され、道路も舗装されていませんでした。

アビドスの地図
【アビドスの位置を示す地図】

 しかし、古代はオシリス信仰の中心地でした。第12王朝時代には毎年数千人の巡礼がオシリスの墓に詣でるためにアビドスにやってきました。また、そこで行われる神秘的な宗教劇を見物しました。

 敬虔なエジプト人にとってアビドスに葬られることは一番の望みでした。古代エジプトの宗教の熱心な信者のドロシーもまた、アビドスに葬られることを熱望していました。ドロシーの短かった前世でもっとも重要な場所がアビドスのセティ1世神殿でした。

 セティの神殿はエジプトで最も美しく保存の良い建築物です。セティ1世の父ラムセス1世は元軍人でした。セティも勇敢な軍人で、シリア、リビア、レバノン、ヌビアまで軍事遠征を行いました。その後、30代前半でファラオとなりました「復活をもたらせし者」と自ら称したセティは、腐敗を是正し、役所の非能率性を改善し、第18王朝の王アクエンアテンの宗教改革で失われていたエジプトの国力を復活させました。

 神殿はセティの治世中に建設され、ファラオが亡くなったときほぼ完成しました。最後の仕上げは息子ラムセス2世が行いました。また、王家の谷にあるセティの墓は、王家の谷の王墓の中でも最大級の大きさと美しさを誇っています。

 セティ神殿には他の神殿と変わった点がいくつかありました。伝統的な長方形の形ではなく、L字型の構造になっていることでした。

 また、一つの神だけでなく、7つの神を奉った7つの礼拝堂がありました。セティの方針でエジプト国家をひとつにまとめるために、エジプト各地の神も祀っていたのでした。

 ドロシーは、この神殿を初めて訪れたとき、「まるで以前、暮らしていた場所を歩いているような感覚」を覚えました。

 ドロシーは言いました。

私はこの場所を知っている。どこに何があるか、それが何かまですべて知っているわ。

 すると同行の監督官は言いました。

そんなことはありえません。この神殿のきちんとした目録もガイドブックも未完成なのだから

 そこで、ドロシーは監督官やもう一人の監督官と建築家3人と共に夜の神殿を訪れました。かれらは懐中電灯を持っていましたが、ドロシーは何も持たず、真っ暗な中を一人でどんどん入って行きました。

 そして、監督官に指示された地点まで暗闇を迷わずたどり着きました。彼らはびっくりして「単なる偶然です。もう一度やりましょう」そんなことを4,5回繰り返して、一度も間違えませんでした。彼らはうさんくさげに「この女は何者だろうとあやしんでいたわ」と後にドロシーは回想しました。

セティ1世神殿の内部
【セティ1世神殿の内部】

 エジプトの村では、結婚している女性を本名で呼ぶのは不作法とされていました。ドロシーも、アビドスではオンム・セティ(セティの母)という名で呼ばれました。

 電気のない村の生活は夜明けと共に起き、日暮れとともに寝る古代そのままでした。ドロシーは末な小屋を買い、屋根の上に泥で部屋を作り、一階はロバやネコなどの動物のすみかに、二階を自分の部屋にしました。

 ドロシーのアビドスでの仕事はセティ神殿で見つかった石の門や列柱や窓格子のバラバラの破片を分類し組み合わせて、刻まれた碑文を翻訳する作業でした。これを完成させるのに2年かかりました。考古局の主任や職員たちは、その仕事の正確さやヒエログリフを翻訳するみごとな手腕に舌を巻きました。

 また、夢で見た神殿のそばのも発掘されました。それはドロシーが言ったとおりの場所にあり、井戸には今でも水がありました。

 ドロシーは神殿の中に自分の仕事部屋を持ち、一日中そこで仕事をしていました。すると、たくさんの不思議な体験をするようになりました。

 偶然、秘密の隠し部屋に紛れ込んだり、コブラと友達になったりもしました。
 
 しかし、私たちから見て一番の不思議は3,000年前のファラオとの逢瀬でしょう。


セティ1世とトト神
【セティ1世神殿内の壁画 セティ1世とトト神】

ドロシーの日記

昨夜、王様がおいでになられた。私がプロパンガスの明かりで屋外のベッドに横になってSF小説を読んでいるときだった。愛情に満ちたあいさつの後、王様は新しい家の住み心地は快適かとお訊きになった。

「はい」と答えると、「そなたとともに見せてもらおう」とおっしゃった。王様は私の肩に腕を回し二人で歩いた。王様は私をしっかり抱きしめ、キスをしてくれた。アビドスにやってきてから、王様は私の額や頬や手にしかキスなさらなかった。

部屋に入ると、母ネコが恐怖のあまり叫び声をあげた。仔ネコたちを守ろうとしたのだ。王様はおっしゃった。「怖がらずともよい、小さな母よ。余はそなたの赤子たちをとって喰うつもりはない」


ドロシーの日記

王様が昨夜、またおいでになった。私は眠っていたのだけど、ネコのメリイが鳴きわめきながら家を飛び出していったので、目が覚めた。

王様はうんざりされているご様子だった。私はすぐに王様のもとに行った。王様は私にキスし、抱いてくださった。「ベントレシャイトよ、孤独な疲れた老人が、そなたのネコがいましがた逃げ出したばかりの場所で眠りたがっているのだ」

私は言った。「あなたは老人ではありませんわ。愛しい方。今夜はもう寂しい思いなどなさりませんわ。いらしてください」私たちは並んで横になった。王様は私に腕を回し、まもなく二人は眠りに落ちた。目覚めたとき、しまってあった毛布が私にかけてあった。きっと王様が私にかけるものを探してくれたに違いない。こんなにひんぱんに王様に会えて、私は幸せだ。


 ドロシーの仕事や業績を認めたたくさんのエジプト研究者が、海外からもアビドスまで会いに来るようになりました。今では、彼女は伝説の人でした。あこがれや尊敬の思いで見られるようになっていました。しかし、経済的にはとても貧しい生活でした。

 ドロシーはセティ神殿を見物に来る観光客のガイドを始めました。その収入のほとんどは神殿修復のために寄付してしまい、自分と動物たちは最低限の生活のままでした。

 ドロシーの外見は年齢よりずっと老けて見えました。それは、セティ1世が物質化するたびにエネルギーを使われていたからでした。それでも、ファラオと会うことは至福のひとときでした。

つづく

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超簡単なエジプトの歴史

  • 2011.03.07 Monday
  • 22:32

アブシンベル大神殿
【アブシンベル大神殿 4つの巨像はラムセス2世】

ここで簡単にエジプトの歴史を振り返ってみたいと思います。

エジプト歴史年表

1000万年前ナイル川が形成される  
10万年前〜1万年前 第6氷河期に旧人がナイル川を南下
その途中で突然変異によって生まれたのが我々の祖先である「新人」

    [ 古 代 エ ジ プ ト 王 朝 時 代 ] 

先王朝時代 前6000年〜BC3000頃  
ナイル川沿いに住み着いた人々が村落を形成、農耕・牧畜と定住生活始める。

初期王朝時代 BC3000頃〜BC2650頃
第1,2王朝 メネス(ナルメル)王が上・下エジプトを統一。首都メンフィス。当時の推定人口は200万人

古王国時代 BC2650頃〜BC2180頃
第3〜6王朝 ピラミッドが建設される(ギザの3大ピラミッド)
「ピラミッドテキスト」 

中王国時代 BC2040頃〜BC1785頃   
11〜12王朝 メンチュヘテプ2世、エジプトを再統一。首都テーベ(現在のルクソール)
ヒクソスの侵入

新王国時代 BC1565頃〜
18〜20王朝 
王家の谷、ハトシェプスト女王、アメンホテプ3世、ツタンカーメン王、セティ1世、ラムセス2世、モーゼの出エジプト 

末期王朝時代 BC750頃〜
25〜30王朝 

   [ グ レ コ = ロ ー マ ン 時 代 ]
 
BC332
マケドニアのアレクサンドロス大王がエジプトを征服

プトレマイオス朝時代(ヘレニズム時代)BC305〜BC30

BC48  カエサル、アレクサンドリアに上陸。クレオパトラ7世との運命的出会い
BC30  クレオパトラ7世、ローマ軍に敗れて、毒蛇に胸を咬ませて自殺

ローマ帝国の支配 BC30〜AD395
イエス・キリスト誕生 エジプトにキリスト教が定着(コプト教時代) エジプトの神殿破壊がはじまる

   [ イ ス ラ ム 時 代 ]

ビザンツ帝国の支配 395〜641
古代多神教崇拝を禁止・キリスト教に統一(古代のエジプト宗教は一掃される)

アラブ世界の支配 641〜1517
アラブ人の侵入・イスラム教に改宗

オスマン帝国の支配 1517〜1882
ナポレオンのエジプト遠征

イギリスの支配 1882〜1922
アレクサンドリアの町はことごとく破壊され、ヨーロッパ的な都市が建設された。エジプト考古学博物館ができる。

エジプト王国 1922〜1952
ハワード・カーター、ツタンカーメン王墓を発見
第1次中東戦争

エジプト・アラブ共和国 1952〜
エジプト人のエジプトが約2000年ぶりに誕生
ナセル初代大統領 スエズ運河国有化 第2次中東戦争 第3次中東戦争

http://homepage2.nifty.com/hashim/nenpyou.htm
エジプト歴史年表を参考にしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 セティ1世は新王国第19王朝のファラオでした。第19王朝の始祖、父王ラムセス1世の後を継ぎ、しばらくは息子ラムセス2世と共同統治していました。

 太陽王ラムセス2世の時代が第19王朝の絶頂期でした。ラムセス2世は90才まで生き、多くの后と側室を持ち、111人の息子と69人の娘をもうけました。
  参考:太陽の王ラムセス (クリスチャン・ジャックの小説)

 エジプトはクレオパトラの自殺で古代王朝が滅んだ後、2,000年間他国の支配下にありました。

 また、宗教もイシス神やオシリス神を崇拝する古代多神教から、キリスト教(コプト教)、イスラム教となり、古代の神々は忘れられていました。今もほとんどのエジプト人はイスラム教です。


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7.王様との甘い日々

  • 2011.03.07 Monday
  • 01:08

アルマタデマ チェスをするエジプト人
【アルマタデマ チェスをするエジプト人】

 それからはドロシーにとって生涯で最も幸せな夜が続きました。今やセティは完全な肉体をもった男として、彼女の前に現れました。セティはやさしく、性的技巧にもたけた恋人であり、その他の点でも本物の恋人でした。

 ドロシーの日記
今、王様は生きておられたときの姿で私のところにおいでになる。いつも50代前半の男性の姿で現れる・・・でも、とても魅力的で、若く見えるの。王様がなくなったのは、63才のときだった。

不思議に思って、いちど王様に訊ねた。王様は、どの歳の姿で現れるかは、自分で選ぶことができるのだとおっしゃった。王様は、ほとんどの者は自分が地上最も幸せだった頃の姿を選ぶとおっしゃった。

私は王様に訊ねた。どうして、即位したときの歳を選ばなかったのかと。その時の王様の答えを覚えている

「王になることは幸福ではなかった。それは辛い徒労にほかならなかった」

陛下が選んだのは、ベントレシャイトと出会い、彼女を愛した年齢、つまり54才だった。その短い数週間こそ、全人生の中でもっとも幸福な時期だったと、王様はおっしゃった。


 王様が訪れると、二人はベッドで毛布をかけてキスしたり触れ合ったり抱き合ったりしてから眠りました。時には、夜通し話し込むこともありました。そうして、王様は明け方になるとアメンティに帰られるのでした。

ドロシーの日記
私は王様に、物質化した体では暑さや寒さをお感じになるのですね。痛みはお感じになりますかと訊ねた。王様はおっしゃった。

「この体は、大地の神ゲブの背に乗っている者たちと同じものだ。慰めも感じれば、痛みも感じる。笑うことも、泣くことも、どんなことだってできるのだよ」

そこで私は、ケガをしたら血も出るのですかと訊いた。
「もちろんだ。私をひっかいてみるがよい」

だが、王様を傷つけることなど、できるはずがなかった。そこで、王様が自分の爪で手をひっかかれると、血が出てきた。私はその血をふいて、傷にキスした。王様は笑っておっしゃった。

「この体は大けがを負うこともあれば、殺されることだってある。だが、案ずることはない。まばたき一つすれば、私はいつでもこの体を捨てることができるのだ」


 二人は寝物語にエジプトの古代史、神々、アメンティ、まだ発見されていない遺跡などについて話しました。その中には、後にセティ1世が話したとおりの場所から発見された墓もありました。

 そんな幸せな日々は4年間続きましたが、二人の肉体的なむつまじい関係が終わりを告げる日が来ることがわかっていました。近いうちにドロシーは、3,000年前に犯した罪を償うためにアビドスへ戻らなければなりませんでした。そうすると、彼女は再びイシスの巫女として神々への信仰を誓い、男性と接することは許されなくなります。

 しかし、エジプトに来て何年も経つのに、ドロシーは未だにアビドスへ行ったことがありませんでした。行こうとすると必ず何かトラブルが起きるのでした。

 1952年、ついにドロシーは休暇を取って、アビドスにたった2日間ですが、行くことができました。二人が出会った庭園、そしてセティ1世神殿を感動の思いで見て歩きました。長い時の経過に傷んではいましたが、オシリス、イシス、ネフティス、プタハ、マアトらの神々の壁画や像に祈りを捧げました。

 その神殿に隣接した半地下の神秘的建造物オシレイオンは、ベントレシャイトが、王との秘密を明かさない咎により大神官に打ち据えられた場所でした。

 ドロシーは幼い頃からそのシーンを何度も夢で見てきました。今ではその記憶ははっきりと蘇っていました。どんなに打たれても、ベントレシャイトは愛する人の名を口にしませんでした。

 ドロシーはオシレイオン内部の井戸の水を衝動的に顔にかけてみました。すると老眼気味だった力が回復し、メガネが必要なくなりました。ドロシーは自分はこの地に住むことを運命付けられているが、まだその時期ではないと感じました。

遺跡オシレイオン
【謎に包まれた半地下の遺跡オシレイオン】

 それから数年後、エジプト考古局は痛みが激しいアビドスのセティ1世神殿修復することになりました。そのスタッフとしてドロシーに白羽の矢が立ったのでした。

 ある夕方、ハードな発掘の仕事を終えたドロシーを仲の良いファクリー教授がお茶に誘いました。

「きみに仕事があるんだ。だけど、勤務地がとても遠いうえ、給料もよくないんだ。実をいうと、今きみがもらっている額の十分の一くらいなのだよ」

「いったいどこですか、その勤務地というは。だれがそんな話をもってきたのですか」

アビドスだよ。きみの新しいボスはガズーリだ。彼はきみの返事を待っている」

ドロシーはその言葉に、うれしさのあまり卒倒しそうになりました。


ホルスの目
【ホルスの目(ウジャト)お守りとして親しまれています】

ドロシーの日記
王様は一晩中、私と一緒にいて、満足のいくまでたっぷりと愛してくれた。これが二人で愛を交わし合った最後の晩になった。それは今までで、もっとも甘い夜だった。

王様はおごそかな声でおっしゃった。

「そなたは、もはや神殿のものであり、命がつきるまでいかなる男とも関係を持ってはならない」

「これはわれわれにとって試練なのだ。誘惑を退けられれば、われわれはともに永遠の世界に生きることを
許されるのだ」

「でも、王様にはまたお会いできるのでしょうか」

「約束しよう。アビドスでそなたに会えるだろう」

「でも、どのようなお姿でいらしてくださるのですか。もはや恋人になれないのに」

「生ける人の姿でそなたに会いにいこう。そなたの腕のぬくもりをどうして忘れられよう」

「これは誘惑なのでしょうか」

「誘惑なきところには試練はない。愛する人よ、私が強くいられるよう助けてほしい。そしてどうか泣かないでほしい。そなたへの愛を断ち切ることなどできはしない」

「どうして王様に触れてはならないのですか。アビドスに行くのは神殿の修復のためであって、巫女として行くわけではありません。それに私は処女ではありません」

王様は私に口づけし、いい子だ、そなたがピラミッドのそばに住んでいた頃に過ごした幸福な年月に感謝しているとおっしゃった。そして王様はすてきな言葉を口にされた。

「そなたの愛は、私の心の傷を癒してくれる薬のようだ」

私はふたたび泣き出しそうになった・・・

この数日後、私はアビドスへ発った。

つづく

 アビドスではどんな生活が待っているのでしょうか。
書いていると面白くて、こんなことが実際にあったのかと不思議に思います。ついつい長くなってしまいましたが、エジプト霊界の様子もわかって参考になるので、もう少しおつきあいください。
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6.ドロシー、エジプト考古局に就職、息子との別れ

  • 2011.03.05 Saturday
  • 20:17

王家の谷
【ルクソールの王家の谷、セティ1世の父ラムセス1世、息子ラムセス2世の墓があります】

 ドロシーはエジプト考古局に雇われた最初の女性でした。デッサンの仕事の他にイシス神殿の碑文の写しやミイラの整理もしていました。この仕事で多くの偉大なエジプト学者と出会いました。そして、どん欲に読書をして、ヒエログリフの勉強をつづけ、「ピラミッド・テキスト」の魔術的祭文などの解読を手がけました。

 日中は考古学の仕事と研究に打ち込んでいたドロシーでしたが、夜になると違った一面が現れました。アパート周辺の住民は「風変わりな英国人女性」が何時間も「妙なそぶりをして」「聞いたこともない言葉でブツブツつぶやいて」スフィンクス像の前にビールやお花、お香を供えているのを見かけました。セティ1世から教えられて、スフィンクスはホルス神と関係がある神聖な場所と考えていました。

 考古局の職員の特権で、ピラミッドの中にも夜遅く自由に入っていました。そして、王の間女王の間で一夜を明かし、明け方出てくることもありました。そこではたくさんの不思議な体験をしたようです。幽霊に出会ったり、謎の光や炎を見ることはあたりまえでした。

 再婚した元夫はドロシーがきちんと子育てをしていないと判断して息子を引き取りました。息子はミイラや遺物の周りで勝手に遊び回っていて、母親は仕事とお祈りと増え続ける動物(猫、犬、アヒル、ガチョウ、ロバ、ヘビ)の世話に夢中でした。

後にほろ苦い調子でドロシーは言いました。
だから私は息子を行かせたの。私には子供より動物たちの方が好きだったから。

 ドロシーの膨大な知識と勤勉な仕事ぶりには、どんな偉いエジプト学者も一目おくようになっていました。また、彼女の古代エジプトの神々への信仰も誰もが認めていました。彼女は、エジプト宗教は古代の宗教の中でも最高のものだと信じていたのでした。

 ドロシーにはたくさんの面白いエピソードがあります。
その一つをご紹介します。

 ドロシーのアパートを見下ろす家の夫婦は、ある夜、ドロシーがガウン姿でバルコニーに座っているのを見かけました。熱くてほこりっぽい発掘作業のあと、シャワーをあびてバルコニーでお茶を一服するのがドロシーの楽しみだったのです。

 しかし、当時のエジプトでは女性がガウン姿でたとえバルコニーでも、人目につくところに出るのははしたないことでした。夫婦は使用人を使わせて、ドロシーにどうかガウン姿でバルコニーに出ないで欲しいと伝えました。

 ところが翌日、夫婦はドロシーがペチコート一枚でバルコニーに座っているのを見て度肝を抜かれました。そして、どうか肌着で出ないでくださいと伝え、ドロシーはにっこり笑って約束すると言いました。
 さて、次の日、ドロシーはブラジャーとパンティだけでバルコニーに座っていました。使用人がお願いだからガウンだけでも着てくださいと告げに来たのでした。


ラムセス一世の壁画
【ラムセス1世、墓の壁画】

 ドロシーは、夜はプハタ・メスの案内でしばしばアメンティ(冥界)を訪れていました。アメンティにはセティの息子のラメセス1世や王の家族もいました。

 ある夜、セティ1世はベントレシャイトが亡くなったときの深い悲しみについて話してくれました。
「そなたの美しい肉体がばらばらになって焼かれ、すっかり失われたという知らせを聞いたとき、私は気が狂いそうになった」

 その後、亡くなったセティは、彼女の行方を探し続けました。絶対的な権力を持つ[評議会]からは「彼女は闇の中に眠っているがゆえに、けっして見いだすことはできないだろう」と告げられたのでした。

 しかし、セティは探し続けました。そして数千年の苦しい探索の末、やっと彼女が北の島、大ブリテンに生きていることを突き止めたのでした。
その時はセティは自らのレベルを下げて、ミイラの姿でないと彼女に会うことはできませんでした。セティはドロシーに「あのときそなたに再び会えてどれほどうれしかったことか」と告げました。

 どうして、[評議会]は二人の性的関係を罪だと見なしたのでしょうか。

ドロシー:それは大問題だったのよ。巫女は神殿の所有物なの。彼女がただの巫女だったら、結婚だって自由にできたし、だれもとやかく言わなかったでしょう。彼女が普通の少女だったら、王様のお手つきになることは一族の名誉ですらあったでしょう。

 でも、ベントレシャイトは神殿に捧げられた巫女であり、聖なる神秘劇のときにはイシスとネフティスの役を務めなくてはならなかった。それがすべてのトラブルの元だったの。もちろん、セティもベントレシャイトも、これが罪であることはわかっていた。二人とも良心の呵責を感じていたわ。

アンケセナーメン
【王妃アンケセナーメンの衣装 CG】

ある秋の夜、彼女がアメンティにつくと、セティは彼女をその胸に抱きしめて言いました。

「我が蓮の花よ、よい知らせだ。私は普通の肉体をもって、そなたのもとに行けるようになった。それがどういうことか、そなたにもわかっておろう」

「王様、どんなにか私はこの日を待ちわびていたことでしょう」

「だが、私が肉体をもつには条件があるのだ。私がアメンティより、そなたのもとへおもむいて物質化するにあたっては、そなたの生命力が必要なのだ。評議会]はこの点についてはたいへん厳しい。私はそなたの許可を得なくてはならない。そなたの生命力を受け取るたびに、そなたは弱っていくことになろう。このことに同意してくれるなら主オシリスに祈りを捧げ、イシスに捧げものを供えて、われわれの愛を祝福してくれるようお願いしなくてはならない」

つづく

それからは、王様はドロシーの元を訪れるようになり、二人の逢瀬は夢のようでした。

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