初詣で余分な念エネルギーを落とす
- 2013.12.22 Sunday
- 08:48
【鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の初詣】
先日の記事で、神社仏閣でお詣りすると、そのエネルギーを高次の存在が食べると書きましたが、それについての文章を引用します。
エネルギーは食べ物と同じで、少なすぎても、たまりすぎても苦しくなります。
ですから、神社でお祈りしたり、楽しいことで笑ったりして、余分なエネルギーを発散すると循環が良くなります。
・・☆・・☆・・☆・・
・念エネルギーを食べる人たち
(「シャンバラからの超レッスン」から一部引用)
ベス「感情を食べるって言うのはあるよね」
ペガサス「エネルギーとして?」
「その昔、地球人の意識は、植物、穀物みたいな意識で、それがだんだん強い感情を持つようになったらしいのね。
泣いたり、喚いたりすることで、感情エネルギーが発生して、その感情を収穫して食べている存在がいるって話だったかなあ」
「でも、その後の話なんだけど、殺し合う時のエネルギーは確かに凄くて力強くて、食べれば力にもなったけれど、私たちが喜んだ時の念のほうが美味しいって、彼らは気づき始めたのね。
だから嗜好が変わってきてるわ」
「『勝ったね〜!うれしいね〜!やったね〜!』って、こっちのエネルギーを食べるようにようやく変化が見られて来てるところよ。こっちは誰も殺さないし、肉も食べないから」
「例えば、『うれしいうれしい、もう、スッゴイ良いことあった!もう、神様のお陰〜!』って、うれしいわ〜!って、神棚にお供えするでしょ。
そうしたら、それって、神様っていわれてる存在が、そのエネルギーをぱくぱく食べてるの?」
「はい、正解。それが食べるです」
「でも、エネルギー出したみんなも、元気にしているよ」
「だって、ムダなエネルギーが取れて楽になるものね。
幸せな人のエネルギーを食べる方がおいしいし、力が出るのがわかっていれば、幸せな人を選ぶよね」
「私たちの中で、感情帯を出すと、念エネルギーが生まれて、それは彼らにとって良質の食べ物なわけですから。
神社で2月3日の節分に豆を撒くけれど、あの時、お金を集めるわけでもなく、豆を撒くでしょう。
あの時は、みんな興奮して念エネルギーを豆と一緒に撒くのね。
すると、神社の本殿の上の所で吸い取って食べている存在がいるのよ。
つまり、モスクや、神社仏閣とか、ああいう所の神といわれている意識体は、私たちのエネルギーを食べて神社仏閣を維持しているの」
「そういう意識体を神様って言っているけれど、本当は神でも何でもないのよね」
「でも、時々、お祈りすると気まぐれで助けてくれる」(笑)
「はっきり言っちゃったら、私たちより次元が高い意識体」
「私たちの方が、エネルギーが小さいけれど、結局一緒。人間同士も、念エネルギーを食べ合ってるもの」
「つまり、この世は念の奪い合い。もしくは貰い合いの世界。
だから戦争や主導権争いそのものが念の奪い合いだよね。」
・・☆・・☆・・☆・・
リマ:ショックですね〜(@◇@)
私たちが神様と呼んでお祈りしている存在は、私たちが出す感情エネルギーを食べているだなんて。それでお互いにギブ&テイクみたいですが。
そのうち続きます。
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