天皇制の歴史と問題点5 戦後の天皇制の記憶
- 2024.03.14 Thursday
- 09:31
【「昭和天皇とマッカーサー元帥」1945(昭和20)年9月27日】.
こんにちは〜
HAPPYリマです。ヽ(´∀`)ノ
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天皇制について調べて考えなさいと言う神様からのメッセージに、なんで〜と思いながら書いてきましたが、意外にも天皇制の思想は日本に深く染みこんでいるようです。
・敗戦後の象徴天皇制
敗戦後、こうした天皇の強い権力が戦争を招いたのだと考えられ、天皇の政治的権力はGHQによって奪われます。その後に生まれたのが、現在まで続く「象徴天皇制」です。
1947年に施行された「日本国憲法」において、天皇について以下のように規定されました。
”第一条
天皇 は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。”
つまり、天皇は「国民統合の象徴」であり、天皇が天皇として存在するのは国民が支持しているからだ、ということになったのです。
そして、天皇は政治的発言ができなくなり、憲法で規定された国事行為や日本中を回って国民を癒し、励ます「巡幸」など一部の行為のみが認められました。
こうして、日本国憲法の制定によって「象徴天皇制」という体制が作られたのです。
以上、リベラルアーツガイドからコピペしました。
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*リマ:GHQは、日本人を支配するには天皇を利用した方がスムーズだということがわかり、天皇制を骨抜きにしてお飾りとして残したのです。
天皇の偉大さゆえに天皇制を残したと勘違いしている国民が多いのですが、幼少期から天皇は神だという考えを刷り込まれた日本人は天皇に対して尊敬と忠誠の念を持っているので、武力で支配するより簡単に従うのでした。
・参考記事
【ソ連、満州、中国、アジア各地から命からがら日本に戻る人たち】
「天皇をつかえ」…終戦時、イギリスのチャーチルが、アメリカに伝えた「意外なメッセージ」
こちらの記事では、敗戦後の日本軍の抵抗を押さえることで「天皇をつかえば、遠い場所で多くの兵士の命が救われる」とイギリスのチャーチル前首相の言葉があります。
・前世の自分の反省
天皇のことを深く知りもしないで、ラジオや新聞を鵜呑みにして簡単に信じてしまった。
そのために若い命を天皇様に捧げて死んでしまったのだった。
もっと現実的で批判的な考えも出来たのに。
そうしたら非国民と避難されただろうな。
こうして、多くの国民が死んでいったのだ。
悔しい、悲しい。情けない。
今回、天皇制の歴史を調べて、明治の天皇制の出来方と仕組みが分かった。
国民がどれだけ明治政府にだまされて利用されてきたか。
明治天皇制は一種のカルト宗教のようなものだ。
霊性も精神性も感じられない。
しかし、そうでもしないと欧米の植民地になってもっと悲惨なことになっていたかもしれない。
「大丈夫だ、天皇やエライ人に任せておけばなんとかなるよ」 というムードが現代日本に今でも漂っている気がする。
以上は私の私見です。おかしなところもありますが、ご容赦ください。
もっと現代の皇室のあり方についても考えてみたいです。